2009年2月19日木曜日

心の声


何も無い。だけど全て有る。
離したくない・・・握って掴んで、それでどういうもんじゃない。
だっていつか必ず離れていく、
時の流れの中、一時、手にしたように見えるだけ。
いつか人は死ぬ。

どんなに手を尽くしても。
もらった命、それは時間を手にしたということ。
なのにどうして欲望に走る。
悪に入る。
名誉とかお金とか奪おうという事ばかり考える。
可能性を秘めている、その宝石のような時間というもの、
大切に使えないか。
自分もまわりも幸せな気持ちになる方向を探せないか。
ただ、道を決めて一心不乱に頑張っていたら、
必要なことは与えられてくる。6・13

2009年2月15日日曜日

ご意見2

>今、現在を見つめ、徐徐に自分を変えていくように
考えた方が良いと思いますが…。

がさつな所もありますが、「絶対に此処は譲れない」って思って、大事にする部分もあります。「やって来る」と言っているうちは、まだまだ意識しているし・・・。正しくは、気が付いたらそうなっていた。

・・という日でしょうね。しばらくは、こうなると「黙って黙々と」・・・が
一番いいのかもしれません。誰に言っても、完全には理解されないし、
負け惜しみにも聞こえるし、ちょっと、情けないかも知れないですよね。
囚われ、意識して見つめていてもいけない。眠れない時にも、眠りにつく事をも
意識していては、眼がさえるばかり。

禅では、「無」でいようとするとき、「そうなろう」と囚われない境地は、
かなり高レベルの部分ではないですか?


今後は「沈思黙考」という自分でいきたいと考えました。
どうしても、枝葉末節になりやすいです。

                              たま

『愛』の始まりは、感動から

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許せないと思うと、 頑張って突き進んでしまうタイプ。