2009年3月20日金曜日

これでいいのだ

ネパールのお友達からの電話が途絶えた。
うわさでは、笑顔の日々。
自分のいる場所が見つかったみたいだ。
笑顔でいられる所・・・。

それは、彼が「自分でも人の役に立てる」ということが
判った日から。
「人から何かしてもらいたい」と常に思っていた彼が、
いろんな人から、愛がほしくて・・・でも、叶わなくて、
淋しかった、 悲しかった。でも、それが、
自分でも出来ることを見つけた時から
人に対して優しくなったと、友人に聞いた。
・・・・最高の生き方を、とうとう見つけたみたいだ。
たぶん、
前のように、もう、私のとこに、淋しげな電話は来ない。

淋しい電話の最後が、私だったのかもしれない。
少しのお相手のあと、気持ち閉ざしたことで、
本当の道を 見つけられたようだ。。

反対に、過去、私を閉ざしてくれた人たちに、
感謝の想いも湧いてきた。
「甘えさせてくれなかったから」、いま自分の足で
歩いている、この道がある。

私のような性格は、自分自身、本当はわかっている・・・
甘えたら何も出来ない、だめになる人間だと判る。

この世に、真に安住の地など、本当はない。
頼り切った心は、その人を失ったときほど、
この世で恐ろしいことはないだろう。

たぶん、求めて手に入れても、いつかは、
失うものだということも判っている。

裏切られなくったって、幼い頃の
父の死のように、いきなり目の前から
去ってしまうこともある。
この世から、自分が去ることもある。

常に、「有る」、と信じていた心は、放心状態だろう。
もう、悲しい思いをしないためにも、何かにすがっては
いけない、 頼りきっては、いけないと思う。
・・・・しかし、何もなさずに悔やむこともなかれ。

役に立とうとする想い、それは、正しい方向に
頑張ってる人間だったり、組織だったりする訳だ・・・。
(正しさとは、行き着く先が、悪魔的か、神近いか見抜く・・)
そういう事の、教えが、今、自分の信じている「宗教」にある。
そうやって、気がつく自分の心こそ、永遠であり 、
それを信じるべきなんだ。

そして、間違っているのが、宗教ではない
・・・いい加減、ここに気がつくべきだ。
間違っている宗教が、たくさんある、ということなんだ・・
真実の心の眼にはわかるだろう

何より、自分は、どう生きている?
もちろん日々、自分だって点検なのだ。


。☆:・。*☆:・。*

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『愛』の始まりは、感動から

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許せないと思うと、 頑張って突き進んでしまうタイプ。